繰り返してはならない悲劇にどう向き合うか?

カンボジアの現代史は特異です。人類史に類をみない原始共産主義政権による社会を支える人材の大量虐殺とそれに続く同じ文化を持つ同一民族同士による20年以上に及ぶ内戦。現在も、人間不信に苦しむ人が多く、地域社会は相互不信から機能不全に陥っています。見えない内戦は続いています。

伝統はすべて否定されて断絶されました。「カンボジア人とは?」という問いやルーツを探る手がかりを探ることが不可能なほどに歴史や伝統という時間の縦軸が断ち切られました。

誰も信じられないという極度の猜疑心が支配した時代は既に過去の悪夢です。しかし現在もその当時の社会環境が遺伝しています。他者を信頼するという横に拡がる協力や共感という軸が希薄なままです。カンボジアは、1990年代にゼロ年が始まった国なのです。

このプロジェクトが最初に着目したのは農業でした。その土地に適した植物ならいまも栽培可能なはず。その見込みから日々の暮らしに必要な現金収入を得るという同じ目的を達成するための仕組みを作れば何かが変わるかも知れないという期待から2007年にプロジェクトが始りました。

なぜコットンなのか?

-地雷原を綿畑に-

かつてバタンバン州は綿花の産地でした。紡績工場もありました。綿花の栽培に適した土壌です。地雷原を綿畑に。虐殺と内戦で失われた産業を新しい世代と一緒に蘇らせることができないか?何もかも外国からの輸入に依存しているカンボジアで衣の自給率を綿花の栽培で上げることができないかという理由から栽培に適した綿花を選びました。

しかしプロジェクトの途中で重要なことに気がつきました。それは、綿花は現代社会のあり方を大きく変えた植物だということです。綿花を切り口にするとイギリス産業革命から続く歪んだ現代のグローバル経済や環境汚染の問題の多くが鮮明に浮かび上がってきます。

同じ過ちを繰り返さない綿花による産業をバタンバン州で興すにはどうしたらよいのか?試行錯誤はいまも続いています。

なぜバタンバンなのか?

カンボジアのバタンバン州は特異な地域です。カンボジアの悲惨な現代史が凝縮しており、いまも人間が持つ負の側面が色濃く残っています。負の遺産を少しでも減らすことができないか?

カンボジアでは、人類史上に類をみないポルポト政権による大量虐殺、同じ民族同士による20年以上に及んだ内戦がありました。

最後まで内戦の激戦地となったのがバタンバン州です。いまも世界で最も多くの地雷が残っています。

家族や親戚をすべて失いカンボジア全土からタイの難民キャンプを目指してバタンバンにやってきた人々がその後も住んでいます。ポルポト政権軍として最後まで戦った元兵士も住んでいます。

製品について

原料の綿花を栽培した後に、どうやってそれをお金に換えて農村の人々の雇用を生み出すか? カンボジアコットンクラブでは、人材をゼロから育成しています。学ぶ機会がなかった農村の女性たちが作り手です。まったくの未経験者でも綿花の栽培は可能です。

でもその先の製品づくりの工程に関わらないと失われた人材を取り戻すことにならないことに気がつきました。

販売できる製品を作ることは知識がなければ再現性がありません。そのためには理科と算数の基礎知識が不可欠です。単なるワーカーとしてではなく、製品を作りながら身体と五感を使って学びながら製品を作る、作りながら学ぶ。その往復運動を大切にしています。目的は、人材を取り戻すためにあります。

カンボジア内務省登録NGO

代表 チャンライ・ロン

古澤敦は、プロジェクトの発起人ですが女性の自立のための世話人であり組織での名簿には名前も役職もありません。

寄付はご辞退しております。このプロジェクトは人材育成が目的です。自分たちで稼いだお金で自分たちを育成するためです。

受賞歴

カンボジア王国の元首 ノロドム・シハモ二国王と工業工芸省から、バッタンバンの紡績業を復活させたことにより全国にテレビ中継される中で表彰を受ける。

主要な取引先
(調査とCSRの外部委託先として受注)

JICA
三菱商事
アジア開発銀行

メディア出演

テレビ、新聞多数

講演

中学校、高校、大学、ビジネススクール、地方自治体、企業など多数