“ C. 遺伝子組み換えコットンの収穫高の激減” について説明します。
2002年にモンサントが遺伝子組み換え種子を発売した当初、綿花の収穫高は飛躍的に伸びました。(グラフの緑の↑参照)同時にモンサントは、インドの主要な種子会社と資本提携し、ライセンス契約を交わし順調に遺伝子組み換え種子を拡販していきます。
しかし、2006年から遺伝子組み換え綿花の収穫量が減ったという声が上がり始めます。(グラフの黒い曲線・67.1%参照)
殺虫剤や除草剤の使用量が増えていっても、収穫量が増えていることが農家の収支をかろうじて黒字にしていました。それが2006年から綿農家の生活は、次第に「農業危機」と呼ばれるまでに困窮していきます。
遺伝子組み換え種子を後払いで購入し、前借りをして殺虫剤、除草剤を調達していた農民は、綿花の収穫量が減れば、その分だけ種子代金の支払いや借金の返済ができなくなります。土地を手放す農家が続出するようになっていきました。
新しい種子が買えない農家は、遺伝子組み換え種子の綿花から種を取り出して、翌年に蒔く農家も現れました。これはモンサントとの契約違反になります。種子を購入する時の契約書では「モンサントがこの種子を開発し特許を有する。知的財産権はモンサントに帰属する」と記してあります。モンサントは契約に違反した個々の農家に対して訴訟を起こしました。契約書にサインしている以上、明らかに農民の敗訴です。特許権使用料の支払い義務がここで発生します。
収穫量が減った2006年は、非常に雨が少なかった年です。それまでにも農家から声があがっていましたが、遺伝子組み換え種子には、大量の水を適切な時期に与えなければならないということが農業研究者からも指摘されるようになりました。
農家は費用を分担して井戸を掘り、簡易的な灌漑(かんがい)設備を作りはじめます。それは一定の効果がありました。しかし、殺虫剤に耐性を持った昆虫の増加と除草剤に耐性を持った植物の増加の勢いの方がはるかに強く、それらに対応するための出費の方が農家の苦しめていました。グラフを見ると綿花の収穫量の減少はなだらかですがが農家の出費は急激に増加していたのです。もはや、綿を栽培しても、まったく収支が合わなくなってしまいました。
綿作地帯のマハラシュトラ州(首都 ムンバイ=旧 ボンベイ)では、今年2月28日から3月18日の間に、37件の自殺者が出ました。首つりや殺虫剤を飲むなど、数ヘクタールしか持たない農家の父親が自殺する例が目立つと政府から発表されました。