※ 画像は、種を蒔いてから4日目の様子です。双葉の中央に白く見えるのは、産毛のような綿の繊維が残っている種の表皮です。

「たぶん発芽しないだろうなぁ」と半ばあきらめていた三河地方の在来種が発芽しました。タイ国境至近のクルタさんの畑にも届けましたが、あまりにも遠いので、バッタンバン市街郊外でも、50鉢に種を蒔いてみて、発芽率を調べて見ようと思ったのです。結果は、90%以上の発芽率でした。この後、どのようになるかはわかりませんが、まったく気候風土が異なる環境でも何事もなかったように、あざやかな緑の双葉が息吹いてくれました。うれしいです。

日本に綿花の種が持ち込まれたのは、799年と言われています。船で漂着した崑崙人(こんろんじん=現在のインド人と推測されています)が、三河国幡豆郡天竺村(現在の愛知県西尾市)により伝えられたのが最初です。
日本では、一度綿の種は途絶えましたが、1550年代になって再び琉球(現在の沖縄)から渡ってきたということが記録に残っています。 三河地方では、この時から綿の在来種が代々、自家採取されて引き継がれてきたと考えられています。

それにしても、たくましいというか、おおらかというか、椰子の木の木陰で元気に発芽する様子をみて、「種って不思議だなぁ」と思わずにはいられませんでした。種子からしてみれば、なんとしても子孫を残さねばならないので、種(しゅ)として当然のことなのでしょうが、そのあまりの環境適応能力の高さに驚きました。

タイの山岳地帯の在来種も三河の在来種も、生命40億年の歴史の中で、「人知(じんち)の及ばない「何か」が備わっているのだろうな」と感じながら、コメのもみ殻を焼いた肥料をあげて見守っているところです。

8月 23, 2014 4:39:17AM