綿花を布地にする技術はインドにはあったということです。インドの綿製品は、柔らかく肌触りの良いと評判になり、イギリスで引っ張りだこの商品となっていきます。それまでのイギリスでは、羊毛で作った衣類(下着も含む)しか流通していなかったからです。

そのインパクトは、ルネッサンスと近代科学の基礎をつくる啓蒙主義の合理主義的精神とあいまって、ヨーロッパ全土で新しい市場を作り出していきました。

それまでは、アラブ人商品がラクダで隊商を組み悪路を踏んでいた流通形態でしたが、ポルトガルのバスコ・ダ・ガマがインドへの海路での貿易ルートを開いたことが、ヨーロッパでの綿花供給を力強く後押しします。

1664年までに東インド会社は25万俵の綿花をイギリスのみに輸入します。(ひとつの俵が、どれくらいの重量になるかまではわかりませんでした)

当時のインド繊維業者は、綿花をどのように染色して色とりどりのパターンを作成するかを秘密にしようと躍起になっていたそうです。しかし、キリスト教徒に改宗した人々や、フランスカトリック教会ローレンス神父(英語読み)の調査で、インドの染色や紡績の技術が知られてしまいます。ローレンス神父はインド繊維業者に守秘を誓っていたのですが、その手法をフランスで公開しました。これが、世界貿易史に記される最初期の諜報活動だったということです。

これがヨーロッパにおける綿花産業を興すひとつのきっかけとなります。

1月 20, 2013 8:26:32AM