※ 奴隷制度と第16代アメリカ合衆国大統領・エイブラハム・リンカーン
奴隷制度によって大量の労働力を確保し繁殖させて、綿花を栽培しヨーロッパに輸出していました。一方、アメリカ北部では米英戦争によるイギリスの工業製品が途絶えてしまったことで、製造業が発展するきっかけとなります。
製造業は、大量の労働力を富裕層が所有する農園に縛り付けておくよりも、労働力を必要に応じて雇ったり解雇したりさせて、流動させる方法が適していました。
この労働形態は、奴隷制度とはなじまない新しい仕組みでした。奴隷制度の存続は、北部にとっては邪魔な存在となったのです。
このことが原因で北部と南部の対立が激化していきます。(激化の背景には、アメリカが先住民の土地を「開拓」し続け、その領土を拡張し続けたことも原因と考えられています)
1860年の大統領選挙では、奴隷制度が大きな争点のひとつとなります。結果は、北部の工業発展の利益を求めて奴隷制度に反対していたリンカーンが当選しました。
(リンカーンは、アメリカ合衆国大統領は奴隷解放の父と呼ばれていますが、「人間として白人と黒人が平等」であるとは思っていなかったようです。アメリカ先住民に対しても、リンカーンは冷酷無比の姿勢を貫きます。リンカーンの執った政策は、アメリカ先住民に対しては民族浄化と言える程、過酷な内容です)
リンカーンは奴隷制度の拡張に反対しました。南部は奴隷制度の維持を求めて独立を画策します。そしてアメリカは南北戦争へと進んでいきます。
奴隷制度がなくなると、アメリカ南部では大農園主にとって困った事態が発生します。大量の労働力が必要な綿花栽培に上乗せコストが必要となるからです。それは、南部の農園主にとっては利益を奪われることに直結しました。
この頃、アメリカが農業国としてイギリスから独立して100年が経っていました。工業経済化を進めたい北部と、奴隷制度の継続によって低コストで生産できる綿花の供給を続けたい南部が、ひとつの国としてまとまることが難しくなったために、南北戦争は勃発しました。
アメリカ南部は独立を求めて戦いました。その理由は奴隷制度を維持したいからに他なりません。独立しなければ奴隷制度を廃止する州が増え続けて奴隷制度が消滅してしまい、利益率の高い綿花栽培が維持できなくなるからです。
南北戦争はアメリカ北部が勝利し、アメリカはひとつの国となります。「衆(人々)」がユナイト(団結)したのではなくて、「州(ステイト)」がユナイト(合体)したのが、アメリカ合衆国です。
イギリスの植民地からヨーロッパ列強諸国の一つとなったアメリカは、急速に国力を増大させていきます。
綿花を効率よく製品にして儲けたい動機を発端として始まったイギリス産業革命。その波は、アメリカの工業化が進むにつれて、綿花栽培だけでなく、繰綿(綿から種を取り除くこと)や紡績(糸を作ること)の工程を、中南米や東アジアに持ち込み、強力に牽引していくことになります。