かつては「白い黄金」とまでもてはやされた綿花も、その価値は急速に下落していきます。

植民地化された国々では、欧米の列強諸国の方針によって、需要が高くて莫大な富を生み出す綿花が強制的に、集中的に生産されてきました。その長い歴史(モノカルチャー経済)は、現在まで影響を与え続けています。

綿作だけを強いられてきた多くの旧植民地諸国は、多くの犠牲を払って独立を成し遂げた後、綿花以外の様々な産業を発達させる努力を開始しました。

しかし、新たな産業を興すために必要な資金を得るためには、植民地だった時代から続いてきた輸出産品である綿花に頼らなければならない国が多かったのです。それ以外に新しい産業を育てる具体的かつ現実的な方法がなかったのです。

(もちろん他の産品を作る方法もあります。ですが、結果的にはうまく機能していません。一次産品である限り、綿花と構造が非常に似たものだからです。それ以外にも、各国の貿易割り当て制度や補助金制度など、あまりに煩雑かつ多岐にわたる要素を説明しなければならない事が多いのです。話をわかりやすくするために今回の投稿では割愛します)

綿作農家が選んだ道は、綿花の単位当たり面積の生産性を上げることでした。

まだ動ける老人から歩き始めた幼児まで、綿を作るために家族総出で夜明けから日没まで綿花畑で働き続けます。

しかし、先進国アメリカが進めてきた「大規模で、工業的で、科学的に」生産されたコットンは、国際市場における綿花の価格を、下へ下へと押し下げていきました。

どれだけ綿花の国際相場が下がってもアメリカの綿作農家が困ることはありません。アメリカ政府が自国内の綿農家を保護するために莫大な補助金で手厚く守っているからです。

インドの農民は、綿の販売価格が安くなっても生活するために多くの人が綿畑に残り続けました。

「貧困から抜け出すには、単位面積当たりの綿の収穫量を上げることしかありません」といううたい文句で、農業用の化学薬品が持ち込まれるようになったのは、1940年代から1960年代にかけての「緑の革命」の頃だとされています。

インドの貧困層の農家は、借金をして農薬や殺虫剤、化学肥料を買い求めて畑に散布しました。信用のない貧困層が借りることができるのは、銀行ではなく高利貸しです。借金の金利は年率30%を超えるものが一般的です。それも単利ではなく複利です。数年後には、利子の総額は元本をあっという間に上回ってしまう農家が続出しました。その悪循環は、現在進行形です。

インドでは、およそ30秒に一人の割合で農家が自殺していると当局が発表しています。その多くが綿作農家です。その数が昨年は顕著に増加しました。

これが、綿の起源である土地であり、アレクサンダー大王も遠征の時に、その柔らかさと美しさに驚嘆したという世界第二位の綿花生産国であるインドの現実の一端です。

1月 28, 2013 11:43:14AM